かかびろぐ

大学3年生から書いてます

こどもの頃は

こどもの頃は知らないものばかりで、音楽番組や時代劇が全く面白くなかったのを覚えている。特に紅白歌合戦なんてのは両親や兄弟は楽しそうに見ていたが僕には本当に退屈で、同時間に放送されているガキ使の方を観ていたかった。偉人と一般人の文章の区別なんてつかないし、ピカソの絵なんて意味が分からないし、原爆ドームを見ても壊れた建物にしか見えなかった。しかし今はもう種田山頭火の型破りな点やキュビズムの芸術性がわかるし、負の遺産を理解できる。
「こどもの頃は毎日が楽しかった」なんて文言を聞くたびに、自分の中に疑うような気持ちが芽生える。少なくとも僕は毎日を退屈に感じていたし、音楽や大河ドラマなどのコンテンツを楽しめている大人が羨ましかった。毎日が楽しかっただなんて思い出を美化しているような気がしてしまう。

成長するにつれて見える世界は変わっていき、物事を多角的に把握できるようになる。そこには自分の知識と経験を反映させて解釈する面白さがあって、僕は大人になってからの方が楽しみが増えると考えているいる。もちろん、こどもの頃は立場の差とかなく様々な人と無邪気に楽しめる面白さがあった。しかしそれは単に、こどもにはこどもなりの楽しみ方があって、大人には大人なりの楽しみ方がある、ただそれだけだ。
だから僕らはいつまでもこどものまま、無知のままではいられない。大人になるということは知識と経験を重ねて学んでいくということだし、僕らの人生に深みを与える。多少勉強をしたことがある人なら身に覚えがあるだろうが、勉強では最初の基礎的な部分よりも奥深くかなり専門的な内容に触れたときに「おもしろい!!」と感じる。言い換えれば勉強がつまらないのは最初が面白くないからで、そこでつまずいているとその先にいる人とぐんぐんと差が開いていく。別にそれ自体は悪いことではないが、長い人生のところどころにある”面白い瞬間”に気づけないのはもったいないと思わないか。