かかかろぐ

大学3年生から書いてます

終わりに

こんな書き出しではあるが、全てが終わるわけではない。

20歳のときから書いていたこのブログはここでひとつ幕を閉じる。

もう書けなくなってしまったのだ。

 

日記を書いたことがある人ならわかるだろうが、1年前の自分でさえ何を言っているんだと思う時があるだろう。そういえばそんなこともあったな、こんなちゃっちいことばかり考えて。結局何もならなかったじゃないか、と。

あれに近い。

そして僕の声となる文章も書けない。

 

昔の僕が今の僕を見たら落胆するだろうし、羨ましがるだろう。それだけは間違いない。

ただ僕が自分であるために、これまでの僕は否定しないし、これからの自分を生きようと思う。

 

長いトンネルを抜けたら雪国だったっけ、それとも蜜柑が窓から投げられたんだっけ。

いずれにしても堰き止められた大河の濁流。

それでは。

脚下照顧

それダサいからやめろ、とよく自分に言い聞かせるし、他人にも時折使う

少し見栄を張ること、余裕がないと必要以上に主張すること、酒で仕事に支障をきたすこと

 

生きていたら自分の行動原理やポリシーみたいなのが少し視界の手前に来すぎて、いつの間にかその場で取り繕い始める瞬間がある

あとで考えれば少し出すぎた真似だったなどと省みる

 

 

ここに関して、同期はある意味一枚上手で「お前が指摘してくれなかったら、この先誰も教えてくれなかった」と言える奴だ

僕もお前みたいに素直になれたらな

紙一重

通勤中に聴く音楽がサビに入る前に「これじゃない」と次へボタンを押す。そんなくだらないことを毎朝繰り返す。

聴き飽きた音楽ひとつひとつのイントロで「あの人が聴いていた」「彼がカラオケで歌った」とかつての知り合いの顔が浮かぶ。今何してるか見当もつかないような、深く関わらなかった人間の顔を思い浮かべて、また次へボタンを押す。

 

全てになりたい。僕が想像しうるあらゆる憧れ、好奇心の全て。今まで叶えてきたことや達成したことの遥か数百倍は超える全て。足りない、乾涸びた 心、全く足りない。今この瞬間に全て得たい。

しかしいつまでも欲しがっているだけで、何か行動に移したことはほとんどなくて、それも初めだけかじったあとに「いつかやることリスト」に加えられてしまって、結局何一つ得られない時間を幾度も繰り返している、この木偶の坊。何をやったって中途半端な人間に成せることなど何一つない。

 

 

「お前、死にたいんやろ」

ああ、そうだ。ずっとそうだよ。でも死にたいというのとは厳密には違っていて、完璧な未来像ばかりを見上げていたら、何もかも有耶無耶に生きてきたこのガラクタのような現実を受け入れたくなくて、消えたいというか全てやり直したくなってしまった。何者にもなれなかった僕は、もうどこかへ消えてしまいたい。全てのレースから降りたい。強いていえば、死にたい。

 

 

今ここで脱線するのが怖い。かろうじて世間のレールを運良く走っているだけの自分が、それを捨ててまでも熱量を注ぎたい事柄がない。この場に踏みとどまるにも走り続けるしかなくなってしまったが、これから待ち受けている困難も悲哀も喜びも絶望も満を持して受け入れる覚悟は、ない。

 

アルケー

未知のところに飛び込んでみたかった。文学に興味があった。大学在学中は随分とブックオフに世話になった。文系に進めばよかったのではと何度も考えた。

化学が好きだった。目に見えない小さな反応の集合体が目に見える形で現れるのは好奇心をくすぐった。化学を専攻したらよかったかもしれない、そんな未練もある。

しばらくしたら自分に限界が見えた。だから他のところに発散していた。

 

そうこうしている間、浅いだけの知識が広がるうちに美術に関心を持った。今まで遊びとしか考えていなかった事柄が洗練されるとどのように美しく昇華されるのか。大学生活も終わりに近づいていた。焦りがあると同時に、絶対的なものに近づきたかった。確実なものを手に入れたかった。やれば全知全能にだってなれると心の奥底では本気で信じていた。

 

芸術はイデアと表象の唯一の接点だとショーペンハウアーは述べている。(後日追記:述べていない。芸術はイデアの認識の伝達。)

 

「勉強って楽しいと感じたんですよね。」

自分が知りたいと思った気持ちを満たしてくれる場所に身を置くといい。

傷

東京にふらっと行けるぐらいの場所が良い

そうすればきっと寂しくなくて、適度に孤独で、美しい夜も汚い景色も、手軽に見つけられるんだ。

 

「東京」って名前がつく大学ならどこでも良かった。喉から手が出るほど欲しかったはずの生活は、どこまで行っても「僕」の延長線だった。

 

あの人に会いたい、少しだけでいい。新幹線を使うくらいなら別に会わなくていい。乗り換えが1回で済むなら、何かを話したいわけでもないが、少し。

あの場所に戻りたいとは思わない。あの人とあの時、あの記憶にもう少し浸りたいだけ。

もう触れないものほど美しいから。

盆の日記

1.

世間話くらいならするが、人間関係に関する話は昔から苦手で仕方がない。

昨日実家に帰省した。母から地元の近況報告を聞く。「○○さんが隣のマンションに引っ越してね」「あなたの同級生の△△ちゃんっていたじゃない?あの子がね」「お隣の‪✕‬‪✕‬くんが就職して」

反応に困るから僕はボケーッとした顔で流している。

 

2.

僕が昔過ごしていた部屋はまるごとリフォームされてリビングに吸収された。あのとき使っていた椅子も机もベッドも全部捨てられてしまった。かつての逃げ場がなくなってしまった。

 

3.

僕の普段の生活を根掘り葉掘り聞かれるのもあまり心地よくない。僕の中ではセンシティブな話題で奥底に閉まった出来事も顛末を知らないからずかずかと土足で入ってくる。ぜひやめていただきたい。

 

4.

のんびり過ごしたかったが久しぶりに帰るとそうはいかないらしい。僕の帰省は盆と正月、年二回のイベントだから仕方ないのかもしれない。まあそれはそれでありがたいことだし申し訳ないから、「孝行のひとつなのだ」と自分に聞かせて、あちこち連れ回されることを覚悟する。

たしかに僕は色々と世話をしてもらった割には何も孝行していない。青いままで、ガキのままで、それがかっこいいんだと強がっている。

 

5.

「お姉ちゃんがね」と母が話す。僕の姉のことだ。この前急遽友達を連れてきたらしい。ずいぶんと仲良くなったんだね。数年前までは連絡を全く取らなかったほどなのに。

今となっては僕以外は全員地元に住んでいる。ひとりだけすぐに帰ってこれない場所にいる。

1週間ほど前に夢を見た。実家から去年住んでいた場所に帰ろうとする夢だった。だから目が覚めたとき僕はどこにいるのか全く理解できなかった。ああ、異動したんだっけ。ずいぶんと離れたところに来ちゃったな。

僕が期待していた居心地はもうこの世界にはないのかもしれないな。

「すべてにあなたが関われるわけじゃないの」

「どの道を選んでも必ず誰かを傷つけるからねえ」

 

 

建前と本心、選択による不可逆的な喪失に躊躇していたら言われた。しばらく前のことだが未だにふと思い出す。僕はどうしたらいいんですかね、ともう二度と会うことはない人に尋ねたときだった。

 

自分のやりたいことをしたら誰かに迷惑が及ぶ、傷つけてしまう。人間社会にいる限りこれは逃れられない。だからと言って負の環境が続いていくのも健全ではない。

「あなたの好きにしたらいいじゃん」「やめちゃえばいいじゃん」と無責任で無関係な甘言ばかりが目につく現代ではさらにそのバランスを見極めるのが難しい。唆されて思い切ったらお先真っ暗ですじゃあ笑いものだ。

 

何が言いたいというわけではないが、この発言が僕の中の「傷つけてしまう」を抑えていた頑なな呵責をいつの間にか退けていた。「どの道誰かに迷惑をかける」という感覚はあって良いのかもしれない。