かかびろぐ

大学3年生から書いてます

Twitterが消えたら

終わりがまことしやかに囁かれている。タイムライン表示数に上限がついたり、フォローしている人のツイートがTLに流れなくなったり、ユーザーが望む形からは次第に離れていっている。

僕がメインで利用しているアカウントは中学生からのもので、最近はあまり使用していないもののそれなりに思い入れがあるというか、学生生活の一端を担っていたと言っても過言ではないくらいに時間を費やしてきた。メタが代わりとなるサービスを開始するらしいが、これが僕にとって同じ価値を提供できることはないだろう。

 

SNSでは普段関わりのない「繋がっているだけ」の人間関係が存在する。昔の親友、高校の友だちの友だち、元恋人、1回だけ見学に行ったサークルで出会った人。今はもう連絡は取らないけれど、時折見かける投稿から近況を知る程度の人。まったく興味はないが、もし彼らが「結婚しました」「地元で店を開きました」などと投稿していたら迷わず「いいね」を送るだろう。そして刹那的でも過去に想いを馳せるかもしれない。

さてもし今後代替のサービスに登録したときに、僕らは彼らのアカウントを探して再度フォローするだろうか。

 

 

全員と再び繋がることはまず不可能に近い。

本当はどうでもいいのだ。昔の知り合いが門出を迎えるなんてどこにでもある話、正直どうでもいい。人生の第三者がそれなりにやっているというだけの、小説の一文にもならないネタだ、僕の人生に寸分の影響もない。だからいつ関係が切れたって構わない。それなのに一抹の不安か、失ってしまう恐怖か、どうかこのまま「繋がっているだけ」の関係が続きますようになんて願う自分がいる。「いつか」「もしかしたら」なんて不安定な甘ったれた弱っちい感情なぞ消し去ったほうがいいのだが、数年連絡を取っていない友人が「〇〇にいる」と近くの場所をいつか投稿していたらきっと返信してしまうに違いない。

 

 

随分と離れたところへやってきてしまった、だから恋しくなるのかもしれない。「思い出は美化されるだけ」と自分に言い聞かせる。