かかびろぐ

大学3年生から書いてます

素養、品性。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」なんて言葉があるけれど世の中は貴賎で溢れてるが?とツッコんだ福澤諭吉は、それに対して学問をしろと説いている。時代が変わっても根強い"学歴社会"からも分かるように、「人の上にいる人」は模試の成績上位者であることが多い。

ではガリ勉は出世するかと言うとそれが事実に反することは想像に難くない。実際は幅広い知識を持ち、内面的にも優れた人材が出世する。

素養は学習能力と結びつきやすく、知識や思考、好奇心から主立って実る。しかし品性は似て非なるものだ。「人の上」に立つのであれば品性は必要となるが、勉強さえ出来れば身につくものではない。これには心の余裕や想像力、IQではなくEQが必要なんだろう。

しかし、学習能力が高い人間はEQを身につけやすいはずだ。他者を観察して得た気付きを吸収し、行動に落とし込む。この一連の流れは勉強と相違ない。

 

 

何が言いたいかはっきり書こう。

勉強的な素養で完敗した人間に品性で勝つことは難しいのである。そりゃガリ勉の例のような多少の反例はあるだろうが、僕らには「格上の人間」がいて、何をどう足掻いても"そちら側"には上がれないのだ。学外コンペで優勝した生徒会所属の社交的な人間と、教室の隅でスマホゲームに勤しんで時間を潰した僕の間にはれっきとした差がある。素養と品性の完全敗北宣言だ。

それでも高校生の頃はどこまでだって伸びしろが見えた。自分の可能性を無限に信じていた。しかしどうやら少しずつ限界が見え始めたようだ。僕の理解力や読解の速さはこれから飛躍的に伸びることはないし、価値観は簡単に動かない。

内側に答えを求め始めたら、そこが変曲点なんだ。