かかびろぐ

大学3年生から書いてます

誰もが自分の居場所を探している

こんな僕もInstagramを見る。友人関係が狭いから頻繁ではないが、代わりに知らない投稿者のリール動画がよく目に入る。その中で心底気に入らないのが、ノスタルジックな音楽とともに田舎や道端の風景を映している動画だ。かなり溢れかえったカテゴリだから見たことがあるかもしれない。

映像と音楽が全くマッチしていないのが、まず気に入らない点のひとつだ。大勢に好まれている曲をスマホで撮影した田んぼや線路の映像に使っているが、盲目的に選曲して一節ごとにシーン切替をしているだけで、気持ち良くなっているようにしか見えない。個人的に好きな曲を見かけた時には侮辱にさえ感じてしまう。

もうひとつは、「ここではないどこか」を探しているようなその素振りが気に入らない。更にこれを否定できないことが僕を心底不愉快にさせる。思えば少なくとも中学生の頃から「僕の居場所はここではない」と信じてかれこれ10年弱生きてきた。僕がいても良いと思える場所はこれから先どこかで見つけられると考えてきた。この僕を構成し続けている腐りかけの個人性を、たかが赤の他人のInstagramのリール動画に「お前は埋没的だよ」とまざまざと見せつけられている。気に入らない。やめろ。

 

しかし安心した部分もある。このカテゴリが盛んになるということは自分の居場所に不満を持っている人が一定数はいるということだ。生きづらいのはみんな同じか、と分かれば心の荷も少しは軽くなったように思う。