かかびろぐ

大学3年生から書いてます

性別へのアンチテーゼ

「30歳までには結婚したいんだよね」
先輩はこう言って、かびは?と聞いた。

僕は特にそういうのはないですねと答えてから、少なくとも今はとだけ付け加えた。

願望がない感じ?…いやそういうわけでもないと思います、多分。…今の子は?…どうですかね、ちょっと想像が難しいです。…そうなんだ。
大学生になってからしばしばこのような話になるが僕はこれがどうも苦手で仕方がない。何歳くらいまでに?今付き合ってる子とは考えてるの?願望とかないの?

誰もがそれをしなくちゃいけないのか。反吐が出る。

 

さすがに言い過ぎだが、実際のところ僕は性別というこのシステムが時折心の底から嫌いになる。

理由は2つあって、そのうち1つは「男女2人でいること」が特別な意味を持つからだ。

社会通念とか固定概念では「人間は男女でペアになって」「いずれは結婚して」「パートナーと共に子どもを育てる」。これは男女2人であることが重要だし、生物的にも同性同士では成せない。近年では社会全体が変化して多様性をめざしてはいるがそれも根本的な解決ではなく、生物的なシステムとしてはこの先何も変わらないだろう。

誰が決めたんだこの縛り。これゆえ「男女2人」の状態が意味を持ってしまう。異性と2人でいるとか異性を誘うとかそんな行動の価値は同性の場合と同じであってほしい。生物の三大欲求にまで含めるほどの本能的な仕組みに基づいてつくられたこのアルゴリズムが憎い。

 

2つ目は、「何もしないと波が立つ」ことである。

一昨年姉が結婚してから、姉より1歳上の地元の兄は「結婚は?」「相手はいるの?」など周りに言われるようになっている気がする。普段会わない僕の目にそう映るということは、きっと相当数言われているのだと思う。それこそ冒頭の先輩のような発言が周りで増えていることだろう。

付き合う相手や結婚相手がいなければそれはそれで周りにとやかく言われ、場合によっては仲間外れにされるだろう。結婚はステータスか何かだと思っているのだろうか。

しかしもし現状ステータスとしての意味が強いなら、誰か僕と結婚しませんか。都合が悪ければそのあと適当に離婚でもしましょう。それでも既婚というステータスが残るので多分未婚よりはマシじゃないですか?

まあそれこそ波が立ちそうだが、個人的には割とありだなという気持ちが否めないからこれは熟考の余地がある。と思う。


短いがこれで話は終わりだ。

最後に、僕自身の性自認は多くの人と同様に、男性/女性のうちの男性である。多様性には肯定的だからジェンダーレスとかLGBTQとかは受容できると思うけれど、それ以前の「性別」の存在に嫌悪感がある。解決するんなら身体についてる部品なんざ切り捨ててもいいとまで思っている。

 

異性の友だちが持つ「女性ならでは」の意見とか視点に日頃救われることも多いから、それは感謝している。だがそれは正確には「女性ならでは」のものではなく「女性という社会的立場ならでは」の意見や視点だ。だからその区別されたカテゴリは「性別」である必要はない。

ニューハーフや女装家がご意見番になりやすいのが良い例だ。美輪明宏から始まり、近年ではマツコ・デラックスミッツマングローブが鋭い視点で意見を述べているのはきっと見たことがあるだろう。あれは「社会的立場」の違いが背景にある。

 

文明が発達して社会全体が大きく変容しているのだから今までの慣習に懐疑的な視点を持ってもいいだろう。少なくとも僕はこのパラダイムに違和感がある。

しかしもしかしたら「この人と結婚したい」と思える方に出会えたら考えが変わるかもしれない。そのときはまたそういった記事を書くと思う。