かかびろぐ

大学3年生から書いてます

夏期講習と僕

僕のもとにはまだ来ていないが、多くの学生には夏休みが始まったらしい。アルバイト先の塾でも夏期講習が始まり、担当している中学生の中にもメラメラと闘志が燃えている子がいることに気づく。日々の勉強の記録を怠らず、毎日を計画通りにこなしている様子は、当時の僕には到底できなかっただろうなと思わされる。

 

先日社員が中学二年生に「もうすぐ7月も終わりだけど学校の宿題は終わりそう?」と圧をかけていた。ほとんど終わった様子のその生徒は残ったいくつかの宿題を説明しているようだった。僕は内心で褒め称えつつ、そのやりとりをどこか冷めた気持ちで横目に見ていた。そして社員や生徒が理想を掲げて頑張ろう!と意気込んでいるのを見るたびに自分は冷ややかな視線を少なからず向けていることに気がついた。

 

高校受験

大学生も終わりに近づいて思うことではあるが、高校受験なんて所詮大学受験の練習みたいなものであって大して気負う必要もないのではないだろうか。もちろん頑張った経験や部活と両立させた成功体験は増やせるものならできるだけ増やしたほうが良い。しかし、「大学生になって初めて出したレポート」くらいには高校受験はどうだっていいのではないかと思う。本気で取り組むべきではあるが失敗したって構わないし、それによって精神的に追い詰められる必要なんてない。人生が終わるなんてもってのほかだ。

もし先ほどの少年が先生や親の顔を窺って塾に通っているのならば、高校受験なんてなくなってしまえと僕は心から思うことだろう。いや、もしかしたら怠惰な自分だけが「勉強=やりたくない」という等式を心に持っているだけで、進学塾に通うような子は自ら進んで勉強をしているのかもしれない。きっとそうだろう。そうだと願っている。

 

ちなみに僕は高校受験に失敗した。というかそもそも挑戦していなかった。11月まで続いた駅伝部で無惨な結果だったことや内申点が低くてそもそも受けられる高校が限られていたこと、トップ校を志望している人間の大半と再び同級生になりたくなかったことが原因だと思う。だから僕には高校受験なんて成功体験もクソもない。

 

「良い子」と「素直な子」

話は変わるが、大学以降で大切なことは「主体性」だとよく言われている。積極的に知見を広げたり興味のある場所に足を運んだり、自分の生活を自分で舵をとることが肝要である。言わば、大学生活は孤独で自由なのだ。

しかし高校まで親や先生の言う通りに従ってきた「良い子」の判断軸は、「自分がやりたいこと」ではなく「親や先生に褒められること」だ。対外的には「素直な子」であっても、自分に対して素直になれていない。自分軸を他人に預けてしまっている。

このタイプの中には自己主張が弱いものもいるが、厄介なのは善悪の判断は他人任せ、自分の行動もどこか建前として他人からの評価を気にしている者だ。「自分」という一番身近なたったひとりの人間としっかり向き合っていない、対外的なその態度が心の底から気に食わない。

 

もちろん先人の言うことに従うのも大事である。しかしこの仕事を始めてから、反抗的な生徒の方が頼もしく見えてしまうようになったのはきっと気のせいではない。少なくとも自分の意思で物事を考えている姿勢が感じられるからだ。僕たち講師の助言を素直に受け入れる生徒の方が扱いやすいのは事実であっても、従わない生徒を否定することはできない。

 

きっと僕は反骨精神を持ちながら先生になったのだろう。きっとそうだ。自分はいつまでも先生や学校といった閉鎖的なヘゲモニーに盾突いているのだ。

この世界で一番教師に向いていない人間が、塾講師をしているのだなと四年目にして気づいた。